ザウターの歴史・入門

1813年 
 
 1人の手工業職人が夢を描いた1813年家具職人である、シュパイヒンゲン出身のヨハン・グリムは、優秀な成績で見習い職人を終了した。地元の教会において鍵盤楽器に感銘を受けた彼は、次なる修行への冒険を決心した。彼はピアノ製作者の道を志したのである。そして彼は、当時音楽の都であった、ウィーンに引っ越した。

1819年 ピアノ工房の設立

 6年間に及んだ、シュトライヒャーの下での修行の後、シュパイヒンゲンに戻り、1819年にスクエアーピアノの製作を開始した。当時この若いピアノ製造技術者の作った楽器は、その品質の為一躍有名になり、技術を求めて短期間で多くの弟子が集まった。

1846年~1863年 カール・ザウター1世、工房から工場へ

 グリム夫妻には子供 が授からなかった為、当時16歳の甥のカール・ザウターを見習い職人として採用した。カールは音楽的にも職人としても天分に恵まれ、叩き上げのピアノ製造技術者にのし上った。後継者となり、そしてグリムの死により工房を引継ぎ、1846年にピアノ工場へ拡張させ、とりわけピアノ製造技術の改良を次々と実現していった。彼は、新しいフォームを作り、新たなピアノ構造、とりわけR2アクションに関する重要な基本計画を考察した。

1863年~1909年 ヨハン・ザウター、スクエアーピアノからピアノフォルテへ

 早すぎたカール・ザウターの死後、母親と共に17歳のヨハン・ザウターが工場を引き継いだ。彼は数多くの旅行、とりわけアメリカ旅行より、多くのピアノ製造技術に関する新たなヒントを持ち返った。最も重要な成果として上げられることは、それ以後のスクエアーピアノの製造ウエイトが、近代的な形に、すなわちアップライトピアノフォルテに移行したことである。

1909年~1948年 カールザウター2世苦難の時代での工場拡張

 カールザウターは生産合理化と工場拡張に力を注いだ。優秀な品質と改良されたピアノモデルは、ザウターの名前をドイツ中に響きわたらせた。

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