Bechsteinブランドヒストリー

C.Bechsteinの歴史

ベヒシュタイン――神話と生きる文化 

ベヒシュタイン                              
クラシックの楽器は偉大な人物と同じである――傑出した個性をもち、いつでも人を納得させ、内奥の望みを満たしてくれる。新しい次元を開いてくれることはあっても、決して失望させられることはない。
ベヒシュタインにはそんな個性がある。1853年以来、ベヒシュタインの音色はプレーヤーと聴衆を魅了し続けてきた。
巨匠たちは、その偉大なメッセージを伝える仲介者としてベヒシュタインに全幅の信頼を寄せてきた。リストからルトスラフスキー、チェリビダッケからペンデレツキ、バーンスタインからセシル・テイラー、シャルル・アズナヴールからチック・コリアまで。

一点の曇りもない一級品の良さを味わうのには、必ずしもピアニストである必要はない。現在製作されている機種は、それぞれにベヒシュタインの響きの伝統を宿しており、弾いてみると、思い通りの音とタッチで高い要求に十分応えてくれる。特別なものを求め、本当の逸品をパートナーにしたいという人ならどなたにでもぴったりのベヒシュタイン。初めの一歩から、技巧を駆使するに至るまで、いつでも良きパートナーである。

歌心にあふれ、限りない変化の可能性を秘めたベヒシュタインは、その個性によって他のピアノとは一線を画す。
すぐれた技術者の経験と知識を基礎として、ベヒシュタイン社はピアノを作っている。そこには、質の高い響きとタッチの文化があり、ドイツが世界に誇るピアノメーカーの伝統がある。

ベヒシュタインは、求める価値のある世界的な楽器で、日々その評価を高めている。

1853年 ベヒシュタイン、偉大な音楽家に「声」を贈る

カール・ベヒシュタインは、ロマン派の全盛期であった19世紀半ばに偉業を成し遂げた。「感情」が重要視されたこの時代、様々な響きのヴァリエーションを意のままにするため、ピアノにもより充実したダイナミクス・レンジが求められた。そんな中、大作曲家や大ピアニストの大胆なアイデアが天才ピアノ製作者に出会い、お互いに行き来するうちに実をつけた。カール・ベヒシュタイン、徒弟時代と遍歴時代をパリでも過ごしたこの人物は、フランスのピアノ製作の秘訣に通じており、特にそれがイギリスのピアノアクションを改良したものであることをよく知っていたが、同時に、フランス・イギリスのピアノが停滞していることを見抜いてもいた。ベヒシュタインは、タフな演奏にもきめの細かい演奏にも合う共鳴体が求められていることを感じ取り、1853年にベルリンで独立する。そのピアノ作りの才能と、時代の風を読む力が、ベヒシュタインの音と技術のコンセプトを作り出し、間もなく音楽家の夢と希望を実現した。こうして、ピアノフォルテは、革命的な完成を経て、最も重要な音楽表現手段となる。

クロード・ドビュッシー・・20世紀初頭に活躍した、色彩の豊かな、幻想的な作曲家。印象主義の名の下、ドビュッシーは、ジャズなどヨーロッパにはなかった表現手段の影響も取り込んで、それまでにない豊かな響きを創り出した。ベヒシュタインこそ彼の「声」であった。曰く、「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ」。それに先だって、リストという存在があった。

右に出る者のない鍵盤の覇者で、全ヨーロッパから天才ピアニストと絶賛された人物である。リストは、前代未聞の、伝説に包まれたパガニーニの超絶技巧をピアノに翻訳している。この大魔法使いがベヒシュタイン・グランドピアノを成長させたといってよい。ベヒシュタインピアノが現れるまで、リストは一晩に何台ものピアノを必要としていた。その激しい演奏に耐えられるピアノが一台としてなかったためである。リストの「言葉」を理解し、その漲る情熱を思うままに表現できる楽器。これを初めて納品したのがカール・ベヒシュタインであった。以降、この楽器がリストの生涯を見守ることになる。ベヒシュタインと芸術家のこうした関係は、リストの弟子の代にも継承された。例えば、ハンス・フォン・ビュロウ、ベルリンフィルの初代指揮者がその一人である

1890年 神話の誕生

不朽の価値 ベヒシュタインは最初から模範的存在であった。世界のコンサート舞台を席巻し、音楽院や皇帝の宮殿に座を占め、国際的な名声を得ると、全大陸に向けて夥しい数の輸出が始まった。ロンドン、パリ、サンクト・ペテルブルクに支店がおかれ、ベヒシュタイン・コンサートホールが世界各国で落成された。カール・ベヒシュタインによって大きく蓋が開かれた都市といえば、音楽の都ベルリンの名がまず挙げられよう。

ベヒシュタインの楽器は好まれ、特別の存在になって、サロンや一般家庭の音楽室でも良い音を奏でた。20世紀初めの経済的、政治的混迷の中で、ベルリンのピアノ生産者の多くが没落したが、ベヒシュタインブランドの威信が損なわれることはなかった。

偉大なピアニストたちは、世界のコンサート舞台の上からベヒシュタインに賞賛の言葉を贈っている。1920年代のベルリンで、初めてベートーヴェンの32のソナタ全曲を演奏したピアニスト、アルトゥール・シュナーベルは、演奏記録を基本的にベヒシュタインの音で遺している。フルトヴェングラー、バックハウス、ギーゼキング、ケンプ、ボレ――昨今のピアニスト及びピアノ愛好家は、ベヒシュタインの表現力と音楽性に感銘を受け、賛辞の言葉を惜しまなかった。それを証明するのがベヒシュタイン社の誇る黄金の商会名簿で、それを開けば、錚々たる名が並ぶのを見ることができる。

ベヒシュタインの素晴らしさは、安定した価値、しっかり保持される品質、独特の響きなど、確実に納得のゆくものであるが、一方でまた、革新を恐れず、時代の要求に耳を傾ける姿勢もその長所といえる。アーティスト、ピアノ教師、音楽愛好家……誰もがベヒシュタインを認める理由がこのあたりに見出される。

1929年 暗い時代

世界経済恐慌はピアノ産業にとって劇的なターニングポイントとなった。カピト出身のベヒシュタイン共同所有者、ヘレーネ・ベヒシュタインは、国家社会主義者だった。そのために、手痛い打撃がベヒシュタイン社に加えられることになる。第二次世界大戦で工場が破壊され、さらに材料が損なわれ、会社の伝統に終止符が打たれることになった。

1945年 それからの第一歩

経営権を保つには脱ナチス化がどうしても必要だった。ヨーロッパ社会がアメリカに依存するようになり、ヨーロッパ製品に代わってアメリカの品が手本の役割を引き継ぐと、ベヒシュタインは暫定的に栄光の座から追われることになった。40年代も終わろうとする頃、打ちのめされたベヒシュタイン社は楽器製作を再開し、ようやく重要な一歩を踏みだした。最も大切な資本は残っていた。つまり、ピアノ手工業の高い技術である。

しかし、60年代初めになると、壁で隔てられたベルリンでは、職人とピアノ製作者の数が足りなくなり、伝統と製品を守るためにベヒシュタインは西ドイツに支社工場を設立した。

それと同時に、アメリカの大きなメーカー、ボールドウィンピアノ・アンド・オルガンコンツェルンが主たる生産者として参入した。新しい資本と大きな野心をもってベヒシュタインの指定席を取り戻すべく、熟練の専門家が楽器作りのために集められた。

70年代初めには、エドウィン・ベヒシュタインと、会社に関わっていたベヒシュタイン家の最後の一人とが経営を放棄し、大株主の座を退いた。こうしてボールドウィン社が唯一の所有者になったが、ピアノ作りは、世界的ブランドを復活させた。

若い職人たちが次第に成長し、熟練した。新しい設計はベヒシュタイン・オリジナルの特性に基づいていた。伝統を守りつつ進歩すること、これが、変化してゆく音の感じ方に対応し、技術を強調したタッチを作るための原則である。

新しいベヒシュタインの時代

1986年、新しい、実りの多い時代が始まる。ボールドウィンに移っていた会社の経営権がドイツ人の手に戻ったのである。新しい経営者とピアノ製作職人は、直ちにベヒシュタインの組織をベルリンに再集結させ、創始者ベヒシュタインの考えを再確認して、ヨーロッパ最高の腕で作った楽器で業界の第一線に立つべく、活発に動き始める。

今日の企業活動を特徴づけているのは、「ベヒシュタイン」という、音楽文化の一部であるブランドのイメージに責任をもつことである。

ヴィジョンは健在であった。世界のメディアと、多くの音楽ファンは、ベヒシュタインというドイツピアノの代名詞的存在に共感し、良い時代にも不遇の時代にも比類のない価値を認めてくれた。ベヒシュタインの楽器に関する問い合わせ、需要は引きも切らずの盛況を呈している。

ベヒシュタイングループ

東西ドイツが統一されると、それに続いて経済的拠点に関する問題が出てきた。これに対し、ベヒシュタインの出した答えは、伝統あるピアノ製作の地、ザクセンで活動を始めることであった。1992年、ベヒシュタインはザイフヘンナースドルフにあったザクセンピアノフォルテ工房の経営権を引き継ぎ、伝統あるブランド、ツィンマーマン(1884年ライプツィヒで創業)と、ホフマン(1904年ベルリンで創業)を新しく扱い始めた。

お買い得感のあるツィンマーマンのアップライトからベヒシュタインのコンサートグランドまで、すべて同じ手で作られたこれらの商品は、評価の厳しいドイツのピアノ市場ですぐに定位置を獲得した。ベヒシュタイングループの誕生である。

1997年 根本に戻れ ベヒシュタイン、再び株式会社(AG)に

グローバル化が進みつつある市場を視野に入れてプランニングを行い、営業活動の一新を決断する――こうしたことを考えたとき、ベヒシュタインの前には、株式会社へと続く道が開かれた。国内外の社友は、ベヒシュタインが新しい理念のため株式投資を行うことに対して、興味を示し、参加してくれた。

当社では文化財の維持と発展を考えており、ベヒシュタインへの投資者は、投資という行為によって音楽文化の一部と個人的に関わる機会を得る。文化投資とは、価値を維持し、未来を創るものである。

証券取引所には新しい名前が出たり入ったりするが、ベヒシュタインは数十年も続くその名をもって、世代を越える、さらに日毎に成長する資本を提供している。

ベヒシュタインは、故郷の発展可能性を考えて作業場を作った。毎年かなりの技術投資が行われるが、ザクセンの拠点は、環境にも配慮して築かれたもので、ベヒシュタインの品質概念を体現している。1998年には、ザクセンにあった姉妹工場がベヒシュタインに合流し、C.ベヒシュタイン・ピアノフォルテ株式会社の支社となった。ザクセンでは、ハイテクと手作業がうまく結びつけられた、ヨーロッパ(あるいは全世界)でも有数の革新的かつ高品質の仕上げが行われている。

2000年には設備投資を行い、新しく完全な外装技術を新工場に備えた。多くの企業が外部に委託する仕事をベヒシュタインでは自社で行い、グローバルな競争の中でも最高の品質を保証している。 「工業デザイン」として新しく世界に発表された「プロベヒシュタイン」アップライトシリーズは、自社工場の最新技術設備によって生産されている。新プロベヒシュタインは、丸みを帯びた側面と輪郭とをもち、従来の「クラシック」タイプと併せて選択の幅を広げるもので、両シリーズで、伝統的な楽器作りとモダンなケースデザインとのコンビネーションを示している。

1999年、ベヒシュタインのショールームがベルリン市の中心、カント通りとウーラント通りの角に位置する「シュティルヴェルク・ベルリン」内にオープンした。多彩さを増す商品のショーウィンドウ的役割をもっており、ベヒシュタイングループ・ベルリンの哲学に沿った、いずれ劣らず質の高い楽器が、ホビー用から高級なコンサートグランドまで展示されている。

2000年、デュッセルドルフの「シュティルヴェルク」内にも、新たなベヒシュタインセンターがオープンした。その主たる課題は、周辺地域での専門取引を支え、ドイツ有数の工業地帯でベヒシュタインの商標を守ることである。音楽に関心をもった市民の要求に対しては、コンサートを開催することで応えている。

市場では―― ポーランド、ロシア、GUS諸国といった新しい東ヨーロッパ部門では、文化の伝統を意識した活動が求められている。市場が少しずつ開かれていく中、ベヒシュタインはこうした国々とのパートナーシップを育てた。総合市場では魅力的なピアノをさらに受け入れる準備ができている。ベヒシュタインピアノ部門の売上はかなりの好成績で、アップライトの70パーセント、グランドでは約50パーセントがドイツ国内で計上されている。ベヒシュタイングループ・ベルリン全体としての市場占有率は、国内生産量の約20パーセントとなっている。

文化の保護とスポンサー

ベヒシュタイン社は設立以来、ピアノをめぐる文化の支持と保護を、中心課題に並ぶ重要な位置においている。中心課題というのはもちろん価値の高いピアノを作ることである。「ベヒシュタインザールはベルリンのコンサートの焦点のひとつである」(フランクフルター・アルゲマイネ紙、2000年3月3日)などといわれるように、今日では新しい活動が伝統を支えている。若くしてすでに国際的に知られたピアニストたちが、シュティルヴェルク・ベルリンで刺激的なステージを披露している。同じく、デュッセルドルフのシュティルヴェルクや市のコンサートホールでもベヒシュタインが活躍しており、ピアニストやアンサンブルが広く活動をする一助となっている。チャリティーイベントや音楽学校の助成もプログラムを賑わしている。州都デュッセルドルフがかなりの文化行事を行っているにもかかわらず、関心をもった聴衆が大勢、ベヒシュタインの催しに集まってくる。

今日のコンサート現場で音響的、技術的に何が求められるか――このことを念頭においてアーティストと話し合い、そこから進化させた新しいコンサートグランドピアノ、モデルD280は、1999年フランクフルトメッセに登場し、コンサートやコンクールでピアニストに感銘を与えた。よく知られるシンギングトーンに加え、ダイナミクスレンジがより充実して、力強いベヒシュタインが生まれた。オーケストラやイベント主催者は、再びベヒシュタインを選ぶようになってきている。

「ベヒシュタイン・ニュース」という年二回発行の小さな文化新聞に、新しいグランドピアノのステージデビューの報告や興味深いインタビュー記事が掲載されている。

ベヒシュタインは活動的な、未来を志向する企業で、いつもメディアの注目を集めている。

新しい世代 伝統をふまえて未来へ

今日生産されるベヒシュタインのアップライトモデルは、いずれも伝統的な構造に基づいている。それは今世紀初めに生み出され、時代の風潮に合わせてどんどん現代化してきた。オリジナルの、そして伝統の素晴らしさを、ベヒシュタインは意識して守っている。

それは当たり前のことではない。工房における重要な情報は、技術的な理由により、マイスターからマイスターへとひたすら口頭で、経験的に受け継がれていくことが多い。すると、時が流れるにしたがって、取り消しのきかない、ほとんど気づかないような設計の狂いや音響的な狂いが出てくる。また今日では、たとえハンドメイドの製品であっても、生産の細部について批判的な顧客や識者から裏を探られてしまう。ベヒシュタイン・ベルリン及びザクセンでは内容豊かな、手間をかけた技術ドキュメント(資料)をもっている。エンジニアたちは、ピアノ製作マイスターと話し合って、ベヒシュタインがもつ伝統のあらゆる細かい点に気を配り、もっとも賢い作業方法を探っている。

現在の共鳴体設計コンセプトの原型は、設計モデル8、11、12という名で知られる。今日のベヒシュタインアップライトは、この三つのクラシックでオリジナルな製造ラインを基本としている。ケースは最良の響きを支える観点に立って作られるが、見た目にも美しいものが目標である。

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