ベヒシュタインの歴史・入門

 

 カール・ベヒシュタインは、ロマン派の全盛期であった19世紀半ばに偉業を成し遂げた。「感情」が重要視されたこの時代、様々な響きのヴァリエーションを意のままにするため、ピアノにもより充実したダイナミクス・レンジが求められた。そんな中、大作曲家や大ピアニストの大胆なアイデアが天才ピアノ製作者に出会い、お互いに行き来するうちに実をつけた。カール・ベヒシュタイン、徒弟時代と遍歴時代をパリでも過ごしたこの人物は、フランスのピアノ製作の秘訣に通じており、特にそれがイギリスのピアノアクションを改良したものであることをよく知っていたが、同時に、フランス・イギリスのピアノが停滞していることを見抜いてもいた。ベヒシュタインは、タフな演奏にもきめの細かい演奏にも合う共鳴体が求められていることを感じ取り、1853年にベルリンで独立する。そのピアノ作りの才能と、時代の風を読む力が、ベヒシュタインの音と技術のコンセプトを作り出し、間もなく音楽家の夢と希望を実現した。こうして、ピアノフォルテは、革命的な完成を経て、最も重要な音楽表現手段となる。

 クロード・ドビュッシー・・20世紀初頭に活躍した、色彩の豊かな、幻想的な作曲家。印象主義の名の下、ドビュッシーは、ジャズなどヨーロッパにはなかった表現手段の影響も取り込んで、それまでにない豊かな響きを創り出した。ベヒシュタインこそ彼の「声」であった。曰く、「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ」。それに先だって、リストという存在があった。

 右に出る者のない鍵盤の覇者で、全ヨーロッパから天才ピアニストと絶賛された人物である。リストは、前代未聞の、伝説に包まれたパガニーニの超絶技巧をピアノに翻訳している。この大魔法使いがベヒシュタイン・グランドピアノを成長させたといってよい。ベヒシュタインピアノが現れるまで、リストは一晩に何台ものピアノを必要としていた。その激しい演奏に耐えられるピアノが一台としてなかったためである。リストの「言葉」を理解し、その漲る情熱を思うままに表現できる楽器。これを初めて納品したのがカール・ベヒシュタインであった。以降、この楽器がリストの生涯を見守ることになる。ベヒシュタインと芸術家のこうした関係は、リストの弟子の代にも継承された。例えば、ハンス・フォン・ビュロウ、ベルリンフィルの初代指揮者がその一人である

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